名所・旧跡

實相寺

 1457年(長禄元)ごろ簗田氏が水海城から関宿城に入城した時に、水海村(茨城県古河市)から現在地に移したといわれ、関宿藩主久世家の代々の廟所として、歴代藩主と奥方の位牌が安置されています。関宿城は、明治維新後に廃城となりますが、この時、本丸の一部の建物を、實相寺の客殿として移築しました。建物の屋根の鬼瓦や釘隠しには、久世家の家紋である「久世鷹の羽」が見られます。また、1985年(昭和60)に修理を行った際に、1756年(宝暦6)の棟札が発見されたことから、18代関宿藩主久世廣明(くぜひろあきら)の時に建てられたものと考えられています。さらに、境内の墓地には、終戦時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎の墓があります。また、隣には父・由哲(ゆうてつ)の、山門の左側には、陸軍大将や戦後靖国神社の宮司を務めた弟・孝雄(たかお)の墓もあります。藤棚やぼたんが美しい境内には、「華盛り山は日ごろの朝ぼらけ」という芭蕉の句碑も建立されています 。
(野田市関宿台町)

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