川のまちネットワークとは

古くから豊かな水と肥沃な大地の恵みをもたらしてきた利根川は 、乱流による水難の歴史も刻んできました。天正18年(1590)徳川家康の江戸入府以来約60年に及ぶ治水政策により東京湾から太平洋に流路を変えると(利根川の東遷)、河川水運により大量の物資を安全に輸送することが可能となります。
とりわけ利根川と江戸川の分流点であるこの地域は、江戸はもとより信州や越後、さらには銚子を経由して東北地方にも及ぶ交流に貢献し、産業や農業が育まれていったのです。

諸国勝景下総利根川之図(複製)歌川広重画:千葉県立関宿城博物館所蔵

三百俵積み、五百俵積みの高瀬舟が川面を賑わせ、両岸は河岸として栄えました。廻船問屋が並び、関宿(現野田市)には関所まで設けられます。
物資輸送だけでなく人々の交通手段としても発展し、利根川には明治時代の中頃まで東京からの蒸気船が就航していました。地域を相互に行き来するための渡船場も数カ所ありました。
近年、広域防災の観点から、また相互交流による地域活性化を目的として、利根川・江戸川を挟んで隣接する千葉県野田市・茨城県境町・茨城県五霞町の1市2町による
「川のまちネットワーク」
を組織しました。
東日本大震災を機にこの広域連携をさらに高め、
川を基軸とした様々な活動を進めてまいります。

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