名所・旧跡

光岳寺

 

 1590年(天正18)関宿城主松平康元(まつだいらやすもと)が、母・於大の方(1528~1602・おだいのかた)の孝養と子孫繁栄を祈り、建立しました。はじめは弘経寺と称していましたが、1602年(慶長7)家康の命により、於大の方の法名(伝通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼)から寺の名を現在の光岳寺に変えました。於大の方は、三河刈屋城主水野忠政(みずのただまさ)の次女で、岡崎城主松平広忠(まつだいらひろただ)に嫁いで、徳川家康を産み、その後、尾張阿古居城主久松俊勝(ひさまつとしかつ)と再婚し、康元を産みました。参道途中にある「延命子育て地蔵尊」は、「於大の方御守仏地蔵尊」とも呼ばれ、石台座も含めると約4メートルあり、康元が於大の方の供養のため建立したもので、像内には於大の方の歯骨が納められているそうです。また、三つ葉葵の寺紋がある本堂内には、於大の方と家康の位牌が安置されています。山門左手には、第7代関宿藩主牧野信成(まきののぶしげ)が、父康成(やすしげ)のために建てた供養塔が、また、右手には、関宿藩士で勤王家の杉山対軒(すぎやまたいけん)の顕彰碑があります。
(野田市関宿台町)

PAGE TOP